結婚式場の仮予約をしてから6時間後に脳幹出血を発症!! | 生存率1%の脳幹出血と脳梗塞による失語症を克服した上西のブログ

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結婚式場の仮予約をしてから6時間後に脳幹出血を発症!!

      2018/02/27

妻と付き合いはじめたのは2007年のクリスマス。

それから3年ほど交際を経て、お互いよい年齢になってきたので、「そろそろ結婚を視野に入れようかな…」と思い、結婚をすることを決めました。

「式場はどこによっか?」「あそこの式場はすっごく綺麗だよ!」「いやいや、来てくれる人には遠いよ」という具合に、おそらく多くの人たちが経験してきたことを、私たちも経験していたと思います。

そう、あの日までは、、、

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一瞬にしてすべての夢と希望が雪崩のように崩れ落ちた

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僕が脳幹出血を発症したのは、2011年3月20日のAM2:58でした。
その6時間前に今の妻と結婚式場の仮予約をしていました。

忘れもしません。この外観…

その翌日の深夜に、僕は脳出血(脳幹出血)を発症したのです。

救急車に搬送されるときに、

「ゴメン、俺、死ぬわ…。」

今でもこのときの光景は、鮮明に覚えています。

 

体が破壊されていく

結婚式場の仮予約を終え、家路につきました。

その日はよく歩いたので疲れていましたし、翌日から仕事でしたので、アルコールを飲んでぐっすり寝ようと、ワインを飲みはじめました。

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気分が良くなってき、眠たくもなってきたので、「そろそろ寝ようかな」と思い始めたころに、風邪のような症状がではじめました。

そのときは「うーん。悪酔いでもしたのかな?まぁ、寝て起きたら治ってるかも」と軽く考えていたのですが、分刻みで体調が急速に悪化していったのです。

そして、左半身に「ドカーン!!!」と衝撃が走り、一気に左半身が動かなくなってしまったのです。

それと同時に今までに経験のない頭痛が襲いました。まるでダンプカーが突っ込んできて、僕の頭を踏み潰しているような強烈な痛みでした。

一瞬にして「これはただ事ではない!」と悟りました。

運よく、その日は実家で寝ていたので、隣の部屋にいた母を携帯電話で呼び助けを求めました。(その時点で歩くことはできなくなっていました)

母は、すぐに救急車を呼んでくれました。

そのときの様子を母親が記録してくれていました。

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同居していた妹2人も、異変に気付き私の寝室に来てくれました。私は心配を掛けないようにと「大丈夫だよ」と話そうとしましたが、口がどもって上手く喋れません。

深夜の出来事でしたので、道がすいていたのか10分後には救急隊2名が私の部屋に入ってきました。

僕は救急隊に、「体が急にしびれる」「口がどもってきた」「手と脚が自分の意思とは違う動きをする」と、自分の見に降りかかった出来事をありのままに伝えました。

僕は「これはただ事ではない、もしかすると死ぬ直前の症状なのかも…」とは薄々感じてはおりましたが、心の底では、「これは単なるアルコール中毒ですね。は、は、は、飲みすぎてはいけませんよ(笑)」という救急隊の返答を期待していました。

しかし、「これは間違いなく脳出血です。すぐさま搬送します」とあっさり言われてしまったのです。

「これは脳出血ですね。」の一言は、あまりにも衝撃的であったため、文字通り頭の中が真っ白になりました。

死の恐怖を感じると同時に「もっとやりたいことあったのにー!!!」と、やるせない感情にもなりました。

症状は自分の意思とは関係なく急速に悪化していきました。もうこの時点で僕の体は自分の意思では動かなくなっていました。

手を動かそうとするにも自分の意思とは違う方向に手が動いたり、立ち上がろうとしても、体が反転してしまい立ち上がることすらできなくなっていました。

救急隊にマンションの入り口まで運んでもらうと、ストレッチャーが用意されていました。

僕は仰向けてストレッチャーに乗せられ、足早に救急車に向かって押されていきました。

仰向けでしたので夜空が見えます。

「夜空を見るのもこれで終わりか…」と切なくなったのを覚えています。

 

これが死んでいく感覚なのか

救急車に乗せられるなり酸素マスクが取り付けられました。

画像引用元:https://jp.depositphotos.com/

と同時に、両目の瞳孔を確認されたときには、死を覚悟しました。

そうこうしているうちに、搬送される病院が決まったのか、救急車が走り始めました。

走るたびに頭が揺れます。その揺れで脳出血の範囲が広がるのか、ますます症状が症状は悪化していきました。

酸素マスクをしているはずなのに、息苦しいのです。窒息しそうなのです。

目を開けるとまるでメリーゴーランドのように周りの景色がグルグルと回転しはじめました。

心臓の心拍数も、爆発するくらいに鼓動しはじめました。

母親は私の隣で手を握り締めてくれていました。「信也、信也、信也…」と名前を言っているのがかすかに聞こえていました。

でも、僕は手を挙げることも、うなずくこともできなくなっていました。

ただ、沈み沈みゆく意識の中でも「今までありがとう…」と心のなかで言うことができました。

 

社会復帰は絶望的との説明

それからの約2週間ほどは昏睡状態だったため、母や妻から聞いた話を元に書きます。

私が運ばれた病院は隣町の中規模の町病院。CT画像や状態からくも膜下出血との診断をされたようです。

それと同時に「ウチの病院では処置できない」とも言われ、より大きな病院への転院を勧められたそうです。

結局、発症から6時間ほどは何も処置できずにいたことになります。

また病院から病院へ救急車に乗って転院です。

 

病名:脳動静脈奇形破裂(AVM)

「病名がわかりました。これから説明しますので、お母さん、婚約者さんは診察室にお入りください」と転院先の主治医(後の命の恩人)が言いました。

「結論から言いますと、息子さんは、くも膜下出血ではありませんでした。」

くも膜下出血でないことを知り、母と妻は少しだけほっとしたようです。

しかし、主治医は間髪いれず

「くも膜下出血ではありませんでしたが、安心は一切できません。息子さんは脳動静脈奇形破裂による脳幹出血です。脳幹出血は、くも膜下出血と同等、もしくはそれ以上に危険な病気です」

続けて

「命が助かるだけでも幸いだと思ってください。ですから、ベットから起き上がることはおろか、家に帰ることは、まずできないでしょう。後々は施設での入院生活になると思います。」

このような絶望的な説明を何度も聞かされたようです。

その時の診察説明書です。

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これから結婚、新婚生活、ハネムーン、子供を産んで家族円満な生活…

こういった夢が一瞬にして崩れ去りました。

妻(当時は婚約者)は、相当なショックを受けて、めまいがして途中から聞けなくなったそうです。

 

今なら婚約破棄もできる状況なのに…

妻(当時は婚約者)と私は、まだ籍を入れていなかったので、しようと思えば婚約破棄もできる状況です。

婚約破棄は正直寂しいけど、私なんかといたら、どこにも行けないし、子供も作れないし、辛い思いでばかりを味わうことになるから、婚約破棄になっても仕方がないことだと思っていました。

僕たちの両親も、それは仕方がないことだと思ってました。

ですが、

「私だったら、どんな状況になっても看病し続けるけどな!!」と言ってくれた人がいました。

その人はなんと、妻のお母さんです。(社会復帰してから、妻から聞きました)

お母さんは子供を2人産んでから離婚をして、スナックを経営しながら子供2人を育てました。

可愛く育てた娘です。

しかも私とお母さんが会ったのは、食事と結婚の報告をしに行った2回だけです。

妻が、私のことをお母さんに話していたとは思いますが、まだ深くは知らないはずです。

こんな浅い関係なのに、私のことを信じてくれたお母さんには本当に感謝しています。

そのおかげで、妻は毎日、私の病院に来てくれました。

来てくれるだけで、励みになる。

「頑張ろう!」と気力が沸いて、リハビリにも精が出て、ご覧の通りの体に戻りました。

僕はいつも思います。

自分に娘がいて、同じような状況になった場合に「看病し続けなさい!」と言えるかどうか…

お母さんは、すごい人です。

 

家族の面会が一番の良薬です

やはり家族の励ましと「必ず回復するぞ」という強い意志を持って闘病生活を送り、リハビリを続けたことも回復に大きく役立ったと言えます。

脳の病気は発症直後が一番重篤な状態となりますが、その後は徐々に病態は安定していきます。まずはこの壁を乗り越えることが大切ですが、そのためにはご家族の方の支えがとても大切になります。

どうか、できるだけ多く面会に行き、手を触ってあげてください。
名前を呼ぶ、話しかける、なども効果的です。

手は神経が多く、感覚や温度だけではなくいろいろな気持ちも伝わります。また耳からの情報も伝わりやすいため、声がけも患者の気持ちを落ち着け、励ますのに効果があります。

リハビリの段階になったら、ご家族の方も一緒に見て覚えて、面会中に実際に一緒にリハビリを行うようにしてください。もちろん無理し過ぎはいけませんが、指示された時間だけではなく自主的なリハビリも早期回復を果たすうえで大切になります。

 

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レポートを作りました

脳卒中の後遺症を克服する方法は、残念ながら大学病院でも脳外科のドクターからでも学べません。もちろん書籍から学べるもというのでもありません。

脳卒中を克服した人はたくさんいますが、今のところ脳血(脳幹出血)や脳梗塞から社会復帰した実体験について学べるチャンスはほとんどありません。

僕は2つの脳の病気を克服した経験から、脳卒中の後遺症を克服する方法がおそらく世界で初めてわかりました。

そしてその方法をPDF版のレポートにまとめました。 とくに脳卒中を発症してから間もない方(発症から6ヶ月以内)のお役に立てると思います。

このレポートを読んだ方から、

「目から鱗だ!」「凄く納得できた」「これが原因だったのか・・・」といったメッセージをいただいております。

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